2010年06月19日

レバノン 2

※今回の記事を参考に当地に赴いた場合、生命の保証は致しません。

 レバノンに行こうという直接の目的は、
「イスラエルとの国境を見てみたい」というものでした。
2006年のイスラエル侵攻後、レバノン南部辺境はイスラエルに占領され、
同じ村の真ん中に国境の鉄条網が設置されました。
そういったものをこの目で見てみたいというのが希望だったのですが…
レバノン 2
南部の要衝「ティール」のいいホテルは赤十字の基地になってました。
ボッタくりタクシーでティールに向かう途中、爆走する国連コンボイも目撃したのですが、
カメラ準備前にて撮影できず。


冷静に考えてみると「国境付近をうろつくタクシー」は怪しすぎます。
しかもちょくちょく降りちゃイスラエル方にカメラを向けているとなると、
下手したらミサイル撃たれかねません。

 ぐっと我慢して、せめて南部の町「カナ」に向かいます。
レバノン 2
2006年の軍事作戦では、
南部一帯を移動する車輌は無差別・無警告で攻撃するという宣言が出され、
ティールとカナを結ぶこの街道でも多くの死傷者が出ました。
ティールが近付くにつれて真新しい更地と道路の陥没が目立つようになります。
運ちゃんは「These holes are injury of fuck'n Israel strike」と言ってました。
街を通り過ぎる度に街灯に「殉教者」の肖像がかかっています。

レバノン 2
また、南部一帯の農園はヒズボラがロケット弾を秘匿したり発射したりしたため、
クラスター爆弾がばら撒かれました。草むらには近付かないよう注意を受けます。

レバノン 2
 カナに到着。田舎のほうは復旧が遅れている印象を受けましたが、
中でもやはりモスクのボコボコ具合が目を引きます。
ヒズボラのメンバーが隠れているという理由と、心理的な効果を狙ってか
モスクは重要な攻撃目標のようです。

 また上の画像で判る通り、この辺りの建物は、
日本の感覚からすると信じられないほどの安普請です。
大陸基準で作られた兵器って、
日本の耐震建築に対してどれくらいの効果を発揮するのでしょうか?

 次回はカナを訪れた目的など。






同じカテゴリー(戦跡・遺構)の記事画像
沖縄縣民斯ク戰ヘリ
沖縄県民は基地の周りに寄生したのか
レバノン 5
レバノン 4
レバノン 3
レバノン
同じカテゴリー(戦跡・遺構)の記事
 沖縄縣民斯ク戰ヘリ (2015-07-07 20:35)
 沖縄県民は基地の周りに寄生したのか (2015-07-06 20:12)
 日本は沖縄を失うのか? (2015-07-05 16:44)
 レバノン 5 (2010-07-04 06:10)
 レバノン 4 (2010-06-27 01:42)
 レバノン 3 (2010-06-25 00:52)

Posted by はまさん  at 01:29 │Comments(0)戦跡・遺構

<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。